穴太寺
京都
楽土の道
楽土の道
京都50
寺伝によると、慶雲二年(七〇五)、文武天皇の勅願により、大伴古麿(おおとものこまろ)が薬師如来を安置して建立された。平安時代になると曽我部郷(そがべごう)の郡司、宇治宮成(うじみやなり)によって、西国観音霊場の札所本尊である聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を迎えることになった。
「穴太寺観音縁起」には宮成が京より仏師を招き、金色の聖観世音菩薩を造立したという。宮成は返礼に愛馬を与えるが馬を惜しく思い、都へ帰る途中を待ち伏せし、弓矢で仏師を殺して馬を取り返した。ところが家に帰ると先ほど自分が放った矢が刺さり、胸から赤い血を流していたのは聖観世音菩薩だった。
その後、聖観世音菩薩は宮成の夢枕に立ち、弓矢の傷が痛むため穴太寺の薬師如来に癒してもらいたいと懇請した。この話は「今昔物語」や「扶桑略記」など広く異口同音に伝えられ、聖観世音菩薩は身代り観音として信仰されてきた。
概要
名前 | 穴太寺(あなおうじ) |
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宗 派 | 天台宗 |
本 尊 | 薬師如来(やくしにょらい) |
札所本尊 | 聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ) |
所在地 | 亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46 |
電 話 | |
巡拝 | 京都 楽土の道 京都50 |
アクセス
穴太寺 亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46