智積院
京都
楽土の道
楽土の道
京都40
東山三十六峰三十一峰の阿弥陀ヶ峰を背に東大路に面して総門が開かれた、真言宗智山派の総本山。古くは学問の寺として栄え、最盛期には千二百人余りの学僧が学んでおり、朝粥を啜(すす)る音が七条大橋まで聞こえたとも伝わる。
その起源は紀州根来寺の境内にあった塔頭(たっちゅう)とされている。智積院は学問の師匠を相次いで輩出した塔頭だったが、天正十三年(一五八五)、豊臣秀吉の根来寺焼き討ちにより炎上。当時、智積院に住し、根来寺の学頭を務めていた玄宥僧正(げんゆうそうじょう)は難を高野山に逃れ、法灯を守った。
秀吉没後、僧正は徳川家康に再興を願い入れ、豊国神社の一部と堂宇を賜り、五百佛山(いおぶさん)根来寺智積院として再興されて中興第一世となった。
概要
名前 | 智積院(ちしゃくいん) |
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宗 派 | 真言宗智山派(ちさんは) |
本 尊 | 大日如来(だいにちにょらい) |
所在地 | 京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964 |
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巡拝 | 京都 楽土の道 京都40 |
アクセス
智積院 京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964