中宮寺
奈良
鎮護の道
鎮護の道
奈良14
中宮寺は聖徳太子が母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために建立したと伝えられ、かつては現在地の東五百メートルほどの場所に土壇として残っていた。昭和三十八年(一九六三)の発掘調査で南に塔、北に金堂の四天王寺式の伽藍が確認された。
鎌倉時代に入って中興の祖、信如比丘尼(しんにょびくに)の尽力によって天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)を法隆寺宝蔵で発見して取り戻すなど、いくつか復興への動きがあった。
戦国時代にはたびたび火災に遭い、法隆寺東院の山内子院に避難していたが、後伏見天皇八世の皇孫、尊智女王(そんちのおおきみ)が入寺して以来、宮家の皇女、門跡尼が代々住職となってその法燈が守られ、尼門跡斑鳩(いかるが)御所として次第に寺観を整えたのが現在の伽藍である。創建の飛鳥時代から千三百余年にもわたり、尼寺の宝燈を守り続けてきた。
概要
名前 | 中宮寺(ちゅうぐうじ) |
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宗 派 | 聖徳宗(しょうとくしゅう) |
本 尊 | 菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう) |
所在地 | 生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 |
電 話 | |
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巡拝 | 奈良 鎮護の道 奈良14 |
アクセス
中宮寺 生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2