日牟禮八幡宮
滋賀
欣求の道
欣求の道
滋賀10
社伝によると、成務(せいむ)天皇が即位年(一三一)に、武内宿禰(たけのうちのすくね)に命じて大嶋大神(地主神)を祀った。応神天皇行幸の際の御座所跡で、のちに日輪を二つ見る奇瑞(めでたい事の前兆)があり、日群之社八幡宮と名付けられたという。
正暦二年(九九一)に勅願により八幡山に社を建て、宇佐八幡宮を勧請して「上の八幡宮」を祀り、寛弘二年(一〇〇五)には遥拝の社を麓に建てて「下の社」とした。
二つの社殿を「下の社」に合祀したのは、八幡(はちまん)山城を構えて城下町発展の礎を築いた豊臣秀次である。没後に山城は廃されたが、琵琶湖の水を引いた八幡堀の開削によって近江商人の町として発展し、近江商人の守護神として崇敬を集めた。
概要
名前 | 日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう) |
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主祭神 | 誉田別尊(ほんだわけのみこと) |
所在地 | 近江八幡市宮内町257 |
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巡拝 | 滋賀 欣求の道 滋賀10 |
アクセス
日牟禮八幡宮 近江八幡市宮内町257