法華寺
奈良
鎮護の道
鎮護の道
奈良9
法華寺は法華寺御所、法花寺とも記され、法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)と号した。寺地は平城宮に隣接し、現存する法華寺境内よりはるかに広大だった。
この地にはもともと藤原不比等の邸宅があり、養老四年(七二〇)、不比等の没後、娘の光明子(こうみょうし)(光明皇后)が受け継ぎ、その後、皇后宮とされた。国分寺、国分尼寺の制が設けられたのは天平十三年(七四一)。国ごとに金光明護国之寺(こんこうみょうごこくのてら)および法華滅罪之寺を置くとある。
天平十七年(七四五)に旧皇后宮が宮寺に改められ、これが法華寺の草創とみることができる。法華寺の名が正史に現われるのは天平十九年(七四七)。このころ、法華寺が総国分尼寺となり、女人信仰の中心ともなった。
概要
名前 | 法華寺(ほっけじ) |
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宗 派 | 光明宗 |
本 尊 | 十一面観音(じゅういちめんかんのん) |
所在地 | 奈良市法華寺町882 |
電 話 | |
URL | |
巡拝 | 奈良 鎮護の道 奈良9 |
アクセス
法華寺 奈良市法華寺町882