法隆寺
奈良
鎮護の道
鎮護の道
奈良13
聖徳太子が斑鳩の里に斑鳩宮(いかるがのみや)を造営したのは推古天皇九年(六〇一)。ほどなく太子は、ここに亡き父、用明天皇のため寺の造立を発願し、推古十五年(六〇七)ごろに完成したのが法隆寺だ。
太子はとりわけ仏教を積極的に取り入れ、憲法十七条や遣隋使など国の成り立ちを支えたが推古三十年(六二二)、四十九歳で逝去した。
その後、法隆寺は太子を慕う人々によって護持されたが、「日本書紀」によると天智天皇九年(六七〇)に焼失。まもなく再建が進められ、遅くとも奈良時代の初頭までには飛鳥様式の西院伽藍(さいいんがらん)が復興した。論争となった再建は若草伽藍の発見により立証され、金堂や五重塔、中門(いずれも国宝)のある西院伽藍は世界最古の木造建築群として知られている。
概要
名前 | 法隆寺(ほうりゅうじ) |
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宗 派 | 聖徳宗(しょうとくしゅう) |
本 尊 | 釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう) |
所在地 | 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 |
電 話 | |
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巡拝 | 奈良 鎮護の道 奈良13 |
アクセス
法隆寺 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1