観心寺
大阪
豊楽の道
豊楽の道
大阪15
南朝の忠臣、楠木正成に縁の深い寺として有名だが、もとは真言密教の聖地高野山と、布教拠点だった京都東寺の往来の中宿で、修行者の研修道場だった。
寺伝によると、大宝元年(七〇一)、修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)(小角(おづの))が雲心寺として開創した。弘仁六年(八一五)、空海(弘法大師)が如意輪観音像(国宝)を彫刻して本尊とし、観心寺と改称。筆頭弟子の実恵に託した。「観心寺勘録縁起資財帳」(国宝)によると、天長四年(八二七)、実恵(じちえ)の弟子の真紹(しんじょう)が造営に着手した。後嵯峨天皇はじめ皇室の信仰が篤い。
後醍醐天皇の帰依を受け、南朝の勅願寺となる。国宝の金堂は、後醍醐天皇が正成を奉行にして建設したと伝わる。
概要
名前 | 観心寺(かんしんじ) |
---|---|
宗 派 | 高野山真言宗 |
本 尊 | 如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ) |
所在地 | 河内長野市寺元475 |
電 話 | |
URL | |
巡拝 | 大阪 豊楽の道 大阪15 |
アクセス
観心寺 河内長野市寺元475