車折神社
京都
楽土の道
楽土の道
京都11
古くこの地は天武天皇の皇子、舎人(とねり)親王に連なる清原氏の菩提寺、宝寿院(ほうじゅいん)の境内で、本殿は清原頼業(きよはらよりなり)の墓所だったと伝えられている。
頼業は十二世紀、後白河法皇の近臣で儒学者だった。律令制下で重んじられた論語などの明経道(みょうぎょうどう)に優れ、高倉天皇の侍読をつとめ、九条兼実から「明経道の棟梁」と称された。「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」にも精通していた。
「車折」の名は、後嵯峨天皇が大堰川(おおいがわ)行幸の途中、社前で突然、牛車の轅(ながえ)が折れたため天皇により命名されたと伝えられる。次いで亀山天皇の嵐山行幸の際にも社前の石の前で牛車が停まり、牛は一歩も動こうとしなかった。供奉(ぐぶ)の者がこの社があることを初めて知り、天皇も牛車から降りて「車折明神」の神号と正一位(しょういちい)を贈ったという。
概要
名前 | 車折神社(くるまざきじんじゃ) |
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主祭神 | 清原頼業公(きよはらよりなりこう) |
所在地 | 京都市右京区嵯峨朝日町23 |
電 話 | |
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巡拝 | 京都 楽土の道 京都11 |
アクセス
車折神社 京都市右京区嵯峨朝日町23