曼殊院
京都
楽土の道
楽土の道
京都28
天台宗の門跡寺院で五箇室(ごかしつ)門跡のひとつ。竹ノ内門跡または竹門跡と称される。延暦年間、伝教大師最澄により比叡山頂に開創され、その後の天暦年間、是算国師の時に比叡山西塔へ移り、「東尾坊(とうびぼう)」と号した。この頃、北野天満宮の造営にあたり是算国師が菅原氏出身ということから初代別当職に任じられ、以来明治維新まで約九百年間別当職を務めた。曼殊院では是算国師を初代としている。寺号は天仁年間、忠尋(ちゅうじん)大僧正が曼殊院と改めた。
鎌倉時代には北野天満宮別当職の寺務の関係から北山に別院を建設。慈順大僧正の頃には別院が盛んになり、曼殊院はこの別院に移ったかたちとなった。その後、足利義満が金閣を造営するにあたり御所の北、公家町に移る。その後、現在地に移ったのは明暦二年(一六五六)、良尚(りょうしょう)法親王の時だ。
概要
名前 | 曼殊院(まんしゅいん) |
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宗 派 | 天台宗 |
本 尊 | 阿弥陀如来(あみだにょらい) |
所在地 | 京都市左京区一乗寺竹ノ内町42 |
電 話 | |
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巡拝 | 京都 楽土の道 京都28 |
アクセス
曼殊院 京都市左京区一乗寺竹ノ内町42