水無瀬神宮
大阪
豊楽の道
豊楽の道
大阪21
鎮座地は、後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮の跡地。
後鳥羽上皇は、承久三年(一二二一)、朝廷の権威回復のため、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げたが敗れ、隠岐に流された。承久の変である。
後鳥羽上皇は死の直前、寵臣藤原信成(のぶなり)と長男親成(ちかなり)に宛て、水無瀬離宮を自らの後生の弔いの地とするよう命じた文書を残した。これが名高い「御手印置文(おていんおきふみ)」で、国宝に指定されている。置文とは遺言の意味である。
遺告に従い、信成親子は御影堂を建て、藤原信実(のぶざね)筆「後鳥羽天皇像」(国宝)を奉って冥福を祈ったのが創建とされる。
概要
名前 | 水無瀬神宮(みなせじんぐう) |
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主祭神 | 後鳥羽天皇(ごとばてんのう) |
所在地 | 三島郡島本町広瀬3-10-24 |
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巡拝 | 大阪 豊楽の道 大阪21 |
アクセス
水無瀬神宮 三島郡島本町広瀬3-10-24