長濱八幡宮
滋賀
欣求の道
欣求の道
滋賀5
延久元年(一〇六九)、源義家が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮から分霊を迎えて創建した。以来、この地は「八幡(はちまん)の庄」と呼ばれ、一帯の産土神(うぶすなのかみ)として崇敬された。
皇室や武将の尊崇も篤く、足利義教(よしのり)は社殿の造営や三重塔の建立、湖北の浅井氏も社領・太刀・神馬を寄進するなど、当時は社領三千石、一山七十三坊を擁し、本宮(もとみや)の石清水八幡宮をしのぐ威容だったと伝わる。しかし、元亀・天正年間の争乱のため社殿はほとんど焼失。天正二年(一五七四)、長浜城主となった羽柴秀吉が荒廃を惜しんで、社殿を修理造営し、再興に努めた。
四百年以上の伝統を誇る長浜曳山祭(ひきやままつり)は日本三大山車祭(だしまつり)の一つで、四月十五日を中心とした春の大祭に、曳山の舞台で奉納される「子ども歌舞伎」が呼び物。
概要
名前 | 長濱八幡宮(ながはまはちまんぐう) |
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主祭神 | 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと) |
所在地 | 長浜市宮前町13-55 |
電 話 | |
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巡拝 | 滋賀 欣求の道 滋賀5 |
アクセス
長濱八幡宮 長浜市宮前町13-55