西大寺
奈良
鎮護の道
鎮護の道
奈良10
天平宝字八年(七六四)、藤原仲麻呂叛乱の鎮圧のために孝謙(こうけん)上皇は金銅四天王像の造立(ぞうりゅう)を発願した。翌年、重祚(ちょうそ)して称徳(しょうとく)天皇となった女帝が「鎮護国家」の志念で創建した勅願大寺が当寺である。
平城宮の西、三十一町歩(約四十万平方メートル)の広大な寺域に、南北に並ぶ薬師、弥勒の二金堂を中心に東西五重両塔や四王院、十一面堂院などが建ち並び、南都七大寺にふさわしい壮麗な伽藍だった。
平安遷都後は朝廷の手厚い庇護から離れ、度重なる天災により一時衰退したが、鎌倉時代に「興法利生(こうぼうりしょう)」をスローガンに戒律復興と民衆救済に邁進した興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)上人によって、密教と戒律を日月のごとく一体に修行する「真言律(しんごんりつ)」の根本道場として復興、その法燈を守り伝えている。
概要
名前 | 西大寺(さいだいじ) |
---|---|
宗 派 | 真言律宗 |
本 尊 | 釈迦如来(しゃかにょらい) |
所在地 | 奈良市西大寺芝町1-1-5 |
電 話 | |
URL | |
巡拝 | 奈良 鎮護の道 奈良10 |
アクセス
西大寺 奈良市西大寺芝町1-1-5