聖護院
京都
楽土の道
楽土の道
京都32
修験道の祖、役小角(えんのおづぬ)を宗祖とし、十代山伏、円珍を経て寛治四年(一〇九〇)、園城寺(おんじょうじ)の僧、増誉(ぞうよ)が白河上皇の熊野詣の先達をし、その功から創建され、「聖体護持」の言葉より二字をとって聖護院と名づけられた。この経緯から聖護院は役行者を宗祖、円珍を曩祖(のうそ)、増誉を開山としている。
後白河天皇の皇子、静恵法親王(じょうえほっしんのう)が第四世住職となってより宮門跡となり、聖護院御所とも呼ばれた。その後、応仁の乱の兵火を受けて焼失し、岩倉の地で再建されたが再び焼失。のち烏丸上立売に移され、さらに延宝四年(一六七六)に現在地に再建された。
慶長十四年(一六〇九)には幕府から修験道本山法頭として諸国の本山派山伏の統括権が与えられる。
概要
名前 | 聖護院(しょうごいん) |
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宗 派 | 本山修験宗 |
本 尊 | 不動明王(ふどうみょうおう) |
所在地 | 京都市左京区聖護院中町15 |
電 話 | |
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巡拝 | 京都 楽土の道 京都32 |
アクセス
聖護院 京都市左京区聖護院中町15