善峯寺
京都
楽土の道
楽土の道
京都5
平安中期の長元二年(一〇二九)、源算上人が小堂に自作の千手観音を奉安して開かれた。長元七年(一〇三四)に後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜。建久三年(一一九二)には後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額(しんがく)を賜わった。白河天皇や後花園天皇による伽藍の寄進などで整備され、後嵯峨天皇や後深草天皇など皇室の崇敬を受けた。
鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を務め、西山宮道覚入道(にしやまのみやどうかくにゅうどう)親王や青蓮院門跡より多くの親王がご入山。他にも多数の僧の入山により室町時代には僧坊五十二に及んだが、応仁の乱で大半の坊が焼失した。
その後、江戸時代には徳川綱吉公の生母、桂昌院(けいしょういん)を大檀那(だいだんな)として、現存の鐘楼、観音堂、護摩堂、鎮守社、薬師堂、経堂が復興され、幾多の貴重な什物(じゅうもつ)が寄進された。
概要
名前 | 善峯寺(よしみねでら) |
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宗 派 | 天台宗単立 |
本 尊 | 千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ) |
所在地 | 京都市西京区大原野小塩町1372 |
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巡拝 | 京都 楽土の道 京都5 |
アクセス
善峯寺 京都市西京区大原野小塩町1372